働かない蟻の割合

昔、世界が百人の村だったら、というような本が出ていた様な記憶がある。
世界何億人だか、日本何億何千だかの人間を、百人の人間に換算した場合、
百人の中に於ける『○○』の割合は何人、というようなことをやり、
何某かの啓蒙を行う本であったように思う。


わたしはそれと似たことを言おうとしている。
そのまんま言ってしまえば、日本に一億の国民がいたら、
その内何人が健常者で、その内の何人が障害者であるのか。
ということだ。
世界人口とは六十六億人であるという。
では、その内の何人が健常者で、何人が障害者であるのであろうか。


とある蟻の実験がある。
北海道大大学院の某助手(進化生物学)らが行ったものらしい。
林の土中などに生息するカドフシアリ約三十匹ずつの三つのコロニーを人工の巣に移し、
1日3時間、昨年5月からの5カ月間観察し、行動類型を分類するという内容の実験であった。
すると「女王アリや卵をなめてきれいにする」「エサ取りをする」などの労働をするアリは各コロニーの約八割で、
「自分の体をなめている」「何もせず移動している」だけで、ずっと働かないアリが約二割いた。
そこで、今度はこの労働をする八割の蟻を隔離し、同じ期間観察した。
結果、十割が働く蟻で構成されていたハズのコロニーの中には、約二割の働かないアリが出現してしまっていた。
逆に働かない蟻を集めたコロニーでは、約八割の蟻が働き始めていたのだ。
……そんなわけである。


日本に於いて最も望ましい形は、一億総じて健常者で勤勉で暴力は振るわず品行方正、
身体的に欠陥なく欠損なく五体満足順風満帆、礼儀正しく他人を重んじ譲り合う。
そんなところであろう。
しかして、そんな都合良く話は進むものではない。
一億の人がいて、まず生まれながらの障害のない人間が生まれない可能性はどの程度であろう?
それは奇跡を通り越して天文学的な数値になり、結論「障害のない人間が今後生まれない確率は0」という結論に至るだろう。
それは蟻の実験でやったことと似ているように思う。
『生まれてしまう』のだ。
正常に生まれてくるのが当たり前であっても、正常に生まれてくるのが当たり前であるからこそ、
そうでない、欠損を持った人間が現れてしまうのだ。


窃盗、食人、強姦、殺人、あらゆる『やってはいけないこと』は『やってはいけないこと』なのだ。
それはどこからどう見ても、誰かに不利益不幸を与え、有益なことなどカスほどもない、悪徳であるのだ。
だからこそ。
だからこそ、それをやる人間は出てきてしまう。
働く蟻だけを集めたコロニーの中でさえ、落伍者違反者は出てくるのだ。
働かない蟻を集めたコロニーの中でさえ、働く蟻は出てくるのだ。
日本には一億の国民がいる。
一億の国民の中には、必ず殺人拉致強姦窃盗ひき逃げ死体遺棄、犯罪を犯す者は出て来ざるを得ないのだ。
それは致し方のない確率の問題であり、法則であり、現実なのだ。


犯罪は撲滅せねば平和はない。
しかし、人のある限り犯罪が撲滅されることはない。
だが撲滅されぬからと言って放置すれば更に悪化する故、犯罪は撲滅を目指して動くしかない。
このいたちごっこ
この無常。
この悲哀。


これはわたしたちにはどうすることもできない事柄なのです。
犯罪撲滅を謳う人にも、犯罪を犯そうとする人にも、
この全力疾走を続けるいたちごっこから逃れる術はないのです。
だから、わたしはこの無常を分かち合う人が一人でも欲しい。
諸行無常は題目ではないのです。
それを分かち合う人が一人でもいれば、それは無常だけれど少し救われるのです。