快眠美眠暴眠の事

世に、満ち足りた人というものは欲求に欠ける所がある。
例えば、毎日三食欠かさず十分に食える人は、食べ物を食べるということを当たり前のように捉える。
すると米を残し、野菜を捨て、水を垂れ流しにし始める。
これが一日に一粒一滴口に入れることもままならない人であると、
隙あらば米の一粒、水の一滴でも口に入れように躍起になる。
足らぬ人程欲求は強く、足りた人は欲求に欠けるのである。


欲求には様々あって、中毒性の強い、例えば酒や煙草といった物が起こす欲求や、
麻雀やデジタルなゲームをやりたくなる様な欲求やら、
インターネットに一日中かじりつく恐ろしい欲求まである。
しかし、こんなもの人それぞれで、要らない人間には露ほども要らない物ばかりである。
人間が生きていく中で誰しも欠かす事ができない欲求とは、いわゆる三大欲求。
食欲、性欲、睡眠欲である。


この内食欲と性欲については、既に巨大な産業がその欲求をバックアップしている。
ファーストフードやファミリーレストラン、ラーメン屋中華料理屋餃子屋ドーナツ屋、
コーヒーショップにコンビニ弁当菓子類等々。
まずもって飽食の時代などと呼ばれる今現在のこの日本、食欲は既に満たされているのである。
戦後の欠食時代の続きの世代の人などは、一粒一滴口に入らなかった経験から食の欲求が大きく、
とにかく腹一杯食う、腹一杯食ったら今度は美味い物を食う、美味い物を食ったら今度は美味い物を腹一杯食う、
というグルメやら美食家とかいうのが流行ったりもしたが、
飽食の時代の我々はそういう欲求には欠くものであるので、大概の若者はそうはならず、
ファーストフードやコンビニのおにぎりなどで食事を済ませてしまうことが多いものだろう。


性欲に関しては、言わずもがな性風俗というものがそれにあたる。
ゴタンダ、ヨシワラ、スガモ、イケブクロ、シンジュクカブキチョウ、ウエノ、シブヤ、ロッポンギ、オオツカ、ウエノ、ウグイスダニ。
関東でさえこの有様。
北は北海道から南は沖縄まで、後ろ暗く表立たないながら性風俗を扱う店は全国津々浦々各所に存在する。
女性ならば身一つでできることであるせいか、今では素人までがこれを商売にしようとして、
未成年による売春買春は続々摘発されている。
良い悪いはここでは論じない。詰まるところ日本には性欲を満たす産業が存在するということを示したいのである。


人間の三大欲求の内二つは、大きな産業がくっついてバックアップされている。
さて、では残り一つはどうだろう。
睡眠欲は一日一回必ず取らねば気が触れてしまうこともあるという、大切なものだ。
これにはどんな産業がついているかと言うと、これがあまりついているとは言えない。
敢えて言えば不動産、漫画喫茶、布団屋などがこれに当たるだろうか。
あるいは暖房冷房、ヒーリング音楽などもそれに当たるかも知れない。
しかし、大々的に『睡眠のための商品』と銘打って出されている商品というのは、あまりにも少ない。
数少ない睡眠を扱った商品には、快眠の為の枕である「低反発枕」などがある。
これは頭を乗せたとき枕が柔らかくて眠りやすいということがウリの、明らかに睡眠欲を満たすための道具である。
問題なのは、一時期もの凄く流行った様な気がするが結局それほど大きく成長せず、今では細々といったレベルであることだ。
もう一つ、睡眠を扱って今度は大きく成長しているのが「漫画喫茶」である。
特に大手の漫画喫茶では、高いホテルの代わりになろうとしてシャワーを設置し、
眠りやすいクッションを敷いた椅子を用意したり、カウチ型の個室や、フラットシートの個室を用意したりしている。
これは確実に安価で快適な睡眠を追求したために成長した部類であり、現在も成長を続けている産業である。
問題はこれに頼ると住所不定になり、社会的には『程度の低い睡眠』のレッテルを貼られてしまうことである。


どうして食欲性欲が一大産業であるのに対して、睡眠欲はこうもないがしろなのだろうか。
例え食にも職にも欠いた浮浪者もといホームがレスな人々でさえ、夜は眠るのだ。
夜眠らねば昼眠るのだ。暇ならば朝も昼も夜も眠るのだ。
これを商売にしない手はないハズなのに、誰しも欠かすことができない物であるのに、
この日本においては睡眠に対する理解というものが甚だ低いと言わざるを得ない。
わたしはこの事態に対して、快眠だけでなく、美眠、暴眠というものを提唱したいと思う。


まず快眠というものを一から定義し直さなければならない。
なんか気持ちよく寝る、ということでは睡眠快眠美眠暴眠を区別することはできないのだ。
快眠とは、その個々人によって違う適正な睡眠時間を適した場所で取ることで、身体と精神を回復させる睡眠であるのだ。
つまり食で言えば健康食という物に近い。
こうしなければその後の美眠を表すことができないのだ。
では、問題の美眠とは何か。
これは美食と同じことである。
睡眠を余計な物で飾り、金を掛け、あるいは快適性回復性掛ける時間などを徹底的に追求することであるのだ。
枕を手反発に木製チップにはたまた戻り戻って綿素材に、布団を羽毛あるいは新素材あるいは軽い物やら重い物に、
睡眠時間も長くしてみたりまた極端に短い時間で睡眠を取る方法を行ってみたり……。
そういう金と時間を掛けた、道楽的な睡眠追求法を『美眠』と名付けるのだ。
最終的には某美味しんぼの様に、就寝を語るのにまず布団を語る感じになり、
睡眠の時間やら寝相、温度、湿度などを批評し合い、海原雄山ならぬ山原海雄なる人物が現れ、
美眠しんぼと書いておねしんぼと読むようになるのだ。



最後は暴眠である。
暴眠とは暴食と同種である。
ふて酒自棄酒があるならば、ふて寝自棄寝である。
過食症拒食症があるならば、過睡眠拒睡眠である。
敢えて眠らずに一日を過ごし、甘く痺れた脳味噌でもって睡眠に落ちてぐっすり眠る。
朝に眠れば昼も眠り、そして夜まで眠って痺れた頭でモソモソと起き出すその快感。
そのやけっぱちにして甘美な睡眠の享受の仕方が『暴眠』である。
それにしても、日本人は精神の弱さが食に現れることを覚え、今ではそれを認知しているものであるのに、
それが睡眠に現れると、全くそれをその人の怠慢の様に言い、そしる。
性欲食欲ばかりが重く扱われ、睡眠欲が軽んじられることをこれはよく表している。
よってここでわたしは『暴眠』という物を提唱するのである。
疲れ、荒み、精神を病んだならば、寝るのだ!
食は食えば食うだけ金が掛かるし、性欲を満たすには相手が要る。
睡眠は身一つで出来、家があれば金も掛からず、家がなければ外でもできる。
嫌でも一日に一回必ず行われるのだ。
他にすることがなく、自分の身一つでどこでも享受することのできる欲求の享受方法。
やらぬ法はないではないか。


わたしが思うに、睡眠とは究極の自己愛だ。
人は眠り始めると、身体が回復を始めて一人夢を見る。
誰とも交流できないその時間は、全てがその人のためにあるその人個人の時間なのだ。
会食やらセックスやらと違って、睡眠は他人と体験を共有することができない。
恐らく、それ故に軽んじられもするし、ないがしろにされもするのだろう。
今の日本では睡眠を欠いている人は少ないから、その重要性に気づかない人も多いのだろう。
だがしかし、睡眠とは甘美で素晴らしい愛なのだ!
自分への愛なのだ!


これを見たあなた。
どうか睡眠を大事にしてください。それだけがわたしの望みです。