貧閣寺 耳馴染みゲップ談話

「音楽なんてものは、要は耳馴染みです」
 私の大学の後輩である大大根君は言った。
「音楽の話となるとジャンルだ垣根だと人は言い、互いが互いのジャンル垣根をけなし合いますが、あんなもの下らないとしか言い様がない。音楽は個人のものです。その個人の耳馴染みが問題なんだ」
 大大根君はコンビニで買い込んできた350ml缶のサワーをぐい、と煽った。
 丸いテーブルの上にはそんなサワーとビールの缶が何本も並んでいる。
 それを囲んでいるのは、私こと甘木唐変木と大大根君と大岩巌君の三人で、今晩の酒盛りはこの三人が主役であり端役である。
「耳馴染みもクソもないじゃないですか。音楽は所詮音楽ですよ」
 そういって「ヘン」と笑ったのが大岩君だ。
「僕は音楽なんてのは何でも聞きます。いわゆるノージャンルというヤツです」
 大岩君は大大根君に対して臆面もなく人差し指を突き付けて言った。
「そんな熱心に語るような代物じゃありませんよ。下らない。僕の音楽感から言ったらそんなの当たり前です。大大根さんは当たり前のことをさも凄いことの様に言っているだけです」
「違うぞ。全然違う」
「違いません。まったくもって違いません」
 これに激昂した大大根君がバシン、丸テーブルを叩いたものだから、わたしは慌てて二人の仲裁に入った。
 私が借りているのはアパートでもマンションでもなく、第二次世界大戦の時に焼けた後に建てられた六畳一間の倉庫とも家ともつかない仮住まい用の小屋で、地主であり家主である持ち主が扱いに困ったという話を人づてに聞いた私が、仮の住まいとして借りることにして、現に借りているのである。
 ここで暴れられると、部屋の隅に積んだCDや本が倒壊し、つり下げられた洗濯物が散り散りになり、なけなしの金で買ったパソコンが叩き壊されてしまう。
 この貧閣寺と勝手に呼んでいるこの小屋を守らんがため、私は二人の間に身体を割り込ませて口を開いた。
「まずもって、二人の意見はそう違ってないじゃあないか。音楽は個人の耳の馴染みの問題である。それが一大事かどうかってだけだろう? 何をそんなに熱くなる必要がある?」
「甘木先輩はわかってないなぁ。これが一大事であることが認められないから俺は怒っているんです」
 大大根は口からサワーだか唾だかわからないものを飛ばしながら力説する。
「世に音楽という物には様々な種類ありますが、その音楽は個々人の耳馴染みで聞ける聞けないが決まるのです。例えば、現代のハードロックからブルースロックの匂いを感じとることができれば、そこからロックンロールしているブルースへ、そこからデルタブルースにだって移行できる。また打ち込みの世界なら、日本のINUヒカシューP-MODELが聞けるならば国外のMike Oldfiledにだって手を伸ばせるハズなんです。
 その根底に流れているのは耳馴染みという力です」
 私も大岩君も、そこまではわかる、と相づちを打った。似たもの同士ならば手を伸ばすこともたやすいだろう。
「話は更に踏み込みますよ」
 大大根君は新しいサワーの缶を開けながら話を続けた。この大大根君はビールを飲まない性質なのでビールの後処理は専ら我々である。私と大岩君はビールの缶のプルタブを開けながら話を聞いた。
「幼少の頃から聞いていた音楽が軍歌であったり小唄であったりすると、その人はその軍歌小唄と似たジャンルである歌謡曲や演歌に流れていきます。アフリカ土着のインディアンは独自のドラムと掛け声の歌を耳馴染みにしているので、約一時間の変拍子の曲を一寸の狂いもなく演奏しきることができるようになったりします。今時分活動しているアーティストも自分たちがどんな音楽に影響を受け、どんな音楽を目指しているかというのは公言することもあるし曲に現れることもある……つまり耳馴染みが何であったかを詳らかにすることは重要なことなのです。おわかりですか?」
「あー……つまり……耳馴染みはとても大切……?」
 いかにも曖昧な私の返答であったが、大大根君は一応それで納得したらしく先を続ける。
「しかしですね、この中で今のJ-POPを幼少から聞かされて育った子どもというのは、音楽業界がロックやらヒップホップやらの表層を借りていかにもそれらしい体裁を作って売り出してくるものだから、子どもたちはそれでオールジャンル全ての音楽を聞けるものだと勘違いしてしまう。カニカマボコを食べてタラバガニを食べたような気分に浸ってしまうのだ!」
 再び大大根君がテーブルを叩く気配がしたので、私は先手を取って彼の後ろに回った。案の定大大根君が手を振り上げたのを私が抱きしめる様な形で静止させる。
「だから耳馴染みというものは恐ろしい!」
 まぁ、そんなことは些末ごとであったようで、テーブルを叩けなかった大大根君は何事もなかったかのように演説を続けていた。
「どんなクソの様な音楽でも、百回聞けばそれに愛着が沸いて聞けるようになってくる。どんな名曲でも耳馴染みのない状態で一回聞いただけでは雑音にしか聞こえない! わかるか? 耳馴染みのこの恐ろしさ!」
 私に羽交い締めにされた大大根君は、大岩君に向かって大声を投げかけた。私が腕を押さえてなかったら人差し指を突き付けていただろうし、もしかしたら飛び掛かったやもしれないが、まぁ、一難は去ったようなので私は再び部屋の隅に座り直した。
 今度は大岩君の弁が始まる。私はまだ空けていなかったビールを一口飲み直した。
「大根君は僕がノージャンルで何でも聞くといったのが気に食わなかったから、こんな弁をぶったんでしょうけれど、どっこい残念なことに僕は本当にノージャンルで何でも気くんですよ」
 余裕ぶった大岩君は、ビールを一気にのどに流し込むと、わざと汚くゲップをした。
オレンジレンジって知ってますかぁ? あれは日本でロックとヒップホップを合わせた最高のバンドですよ。他にもB`zとか布袋とか、僕はジャンルを選ばず何でも聞く様に心がけてますから」
 もう一度ゲップをした大岩君のその音に被せるようにして、大大根君が更に大きなゲップを発していた。
「君のはノージャンルじゃあないね」
「なんですって」
「君は自分をいかにも音楽を垣根なく聞く人の様にいうけれど、それが正しくないと言っているんだ」
 ここで二人が同時にゲップをした。端から見ていると言葉とゲップで両方勝てねば意味がないと張り合っているようにも見える。
「じゃあ、大根君。僕のどこがノージャンルの人でないか教えてくれたまえよ」
「いいでしょう。お教えしましょう」
 そう言って大大根君は手もとに残っていたサワーを一息に全部飲み干した。次の弁舌のためにガソリンを入れたのか、次のゲップのために酒を入れたのかは判然としない。
「ノージャンルというのは既に耳馴染みがあり、その耳馴染みによって分類された音楽のジャンルが全てありとあらゆる物を網羅した時に初めて呼ばれる、いわば敬称です。ところが君の言うノージャンルはただ単に耳馴染みがなく、何にもわからないからジャンルもない。そう言った意味でネガティブな意味でもノージャンルなのです。
 君はそこの所をごっちゃにして、日本の音楽をちょっと噛って特にジャンル分けができないものだからノージャンルだと格好つけただけの人間なのですよ」
 と、ここで大大根君が大きく「ぐげぇっぷ」とゲップをした。このゲップの音の大きさ臭さは特大級であり、彼の今の弁の自信を物語っているのだと私は勝手に解釈した。
 一方、大岩君のゲップは「ぐぅぅ……」とまだ胃で生成中のようで、のどから情けない音が聞こえてくるばかりだった。
「だったら……いや、そんなの……個人の自由じゃないですか」
 上手く反論する言葉が見当たらなかったのか、大岩君は不貞腐れた様な顔でそう言った。ここまで来たら話は決着。後は私の出番である。


「その通り音楽は個人のものであるし、またそれを共有することもできるだろう。言ってしまえば音楽には千人いれば千通りの感じ方があってしかるべきだし、千通りの中で人々が共感を得た者同士集まることがあっても良いだろう。
 結局音楽は耳馴染み、ということも本当だろうと思う。普通の人は耳に馴染んだ音楽しか聞くものではないし、また耳に馴染んだ者同士が寄り集まってできるコミュニティというものもあるだろう。それがジャンルということだ。うん。たぶん。きっと。
 ところで、耳馴染みというものがあるならば、舌馴染みというものもあって然るべきはないだろうか。目馴染み、肌馴染み、なんてものもあるだろう。どうだい後輩諸君。もう今日は終電の時間に走るのは止めにして、一晩馴染むことについて語り合う会をここに結成するというのは」
酔っ払いの生態は、皆さんの身近にある通りのことが真実で、ここにおいてもまた酔っ払いが悪ノリをしているだけの話なわけであるが、
「いいでしょう。私の馴染む論をお一つ聞かせたい」
 と大大根君は既に酔っ払い。
「げぇっぷ」
 と、大岩君のお腹の中のビールも再び元気を取り戻して大ゲップ。
「ようがす。僕もその話に一花添えて見せましょう。咲かぬなら咲かせて見せよう枯れ尾花……」
 と調子に乗って歌を歌い出す始末。

 こうして甘木貧閣寺における「馴染みが如何に人の生活に重要なファクターであるかをゲップの大きさで論じ合い優劣を決める大会」が開催されたわけであります。
 結果は皆さんも知っての通り。
 お近くに、甘木唐変木、大大根、大岩巌がおりましたならば更に詳しい内容が聞けますので、どうぞお近くにお立ち寄りの際は一声声を掛けにいらしてください。
 顔面にゲップを一つ差し上げます故。